鯛のうろこからでも見えることがあるって話。
9月も大詰めの26日。
今日はアイドルタイムに、戴いた小さな鯛を下処理しました。
うろこ取ってエラ取って内蔵取って、その数47匹。
なかなか大変でしたが、あまりやったことが無かったので良い経験でした。が、一瞬自分がコーヒー屋なのを忘れたのは言うまでもありません。
それはさておき、「うろこって取るときめっちゃ飛ぶよねー。」という言葉をよく耳にしました。
実際僕もゆっこに処理してと言われたとき、「内蔵取ったりは別にいいけど、うろこはめっちゃ飛ぶからそれがちょっとねー。」なんて言いながら
下処理始めたんですけど、そんなに飛ばない。
うろこ取る専用の道具を使ったためかホントに飛ばない。それどころかツルツルになっていくところがちょっと楽しい。
そんなわけで、人間がいかに自分の経験ではなく情報のみで物事を判断し話しているのかを、うろこを取るという自らの行為で体感した次第です。
きっとこんなことが沢山あるのでしょう。たかがうろこの情報ですらこんなんなんですから。
いろいろ学んだ小鯛の処理でございました。まさに目からうろこ。
「ら抜き」ことば。
誤りとされる、「食べれる」や「見れる」と表現する「ら抜き言葉」の使用が、本来の「食べられる」、「見られる」を上回ったようです。
更なる日本語の乱れと懸念する声も大きいようですがどうなんでしょう。
今更言うまでもなく、間違った日本語の使われ方は多い。
「破天荒」や「敷居が高い」、「気のおけない」なんていうのは典型的です。
僕も気になる方ですが、だからって本来の使い方ではない日本語を普通に使ってることもきっとあるでしょう。
実際古い時代劇なんて観てるとまったく何言ってるかわからない。
最近ハマっている落語のもそう。ちょっと昔の落語はやっぱり聞きづらい。
そうなってくると、言葉っていうのはやはり時代と共に変化していくのもので、間違った言葉でも使う人が多くなればそれが正しいものになっていくのでしょう。
テレビでだって平気で使ってるわけで、そうなってくるともう止められない。
だからそれを、「間違ってる」と憤るのではなく、受け入れることも大事かなと思うわけで。
ただ自分自身はやっぱり正しく使いたい。その為には常に学ぶことが大事だと思うわけです。
そう、忘れないために、いろんな本を読むこと。それが大事。
そうしてケディの読書会につながります。毎月第3金曜日、ぜひ。
この流れで映画倶楽部の宣伝を。
毎月第4水曜日はそれぞれお勧めの映画を発表する映画倶楽部です。
紹介5分、ディスカッション5分。ジャンルは問いません。思い切り自分の映画の思いをぶつけてください。
先月は、逆にお勧めできない映画の発表でした。あまりにひどい映画で、逆にみんなに観て欲しいという映画。
大賞はジュリアンムーア主演、「フォーガットン」でした。
たまにこんなイレギュラーもありますが、基本は面白くてお勧めしたい映画。ご予約は電話かFBで。
明日は定休日。英気を養ってまた、皆様をお出迎えいたします。