久しぶりにしっかりとした夫婦の会話。仕事以外の話も意外としてるのよ、わたしたち。
最近
朝起きて化粧を施すときに
あー、この顔は昨日と何が違うのだろうか?
と、哲学的に自分に問いかけております。
老いってなんだろう?って調子に乗ったことを
ずっと思っておりまして
昨日と今日と変わりはないのに
今日も昨日を目指せばいいだけのことなのに
そんなに難しいこと?
と、上から目線で思っておりましたが
なんとなく自分にも
老いが
来はじめた気がする今日この頃。
昨日と今日は同じでも
何日前と今日は違っていて
その『何日前』というのが
以前は一年前いわゆる365日前との比較だったのが
半年前、一か月前と
その日数が縮まってきているように思えて仕方がありません。
先日朝の仕込みの時に何気なくかっちゃんに
女性として衰えていくのが怖くて仕方がないことを告げました。
衰えや老いについて口にするのはとても嫌なのです。
友人同士でもなるべくその話はしません。
そこから老け始める気がしてならないからです。
でも、一度逃げずにパートナーには
抱いている恐れを打ち明けてみたらどうなるかと
実験的に話題をふってみたのです。
わたしよりもうんと年上の綺麗な芸能人を引き合いに出して。
結論としては
そのままでいいのではないか、とのこと。
芸能人であるゆえに最高級の手入れをしているのだろうが
どこか不自然なところがあるのは否めない
そうまでして60すぎの人間が20代に追いつけ追い越せとは
いかがなものかと。
ふむふむなるほど。
そしてさらにわたしは言ったのです。
写真に映る自分の顔がたまに怖い、と。
この前のコーヒー教室のコーヒー豆を挽く時のわたしの顔の怖さったら。
だから自分の写真は見たくない、と。
そしたらかっちゃんは言いました。
仕事を真剣にしているところの顔が怖い顔でなにが悪いのか、と。
年うんぬんが関係あるのかないのかはわからないが
真剣な姿ではないか、自然な表情ではないか、と。
確かにそうなのです、おっしゃる通りです。
でも
真剣顔ならばいいのですが
苦労顔に写ってしまっては絶対noであります。
kediは今 ちょっと大変な時期であります。
あらゆる面で。
やりたいことややらなきゃいけないことが目白押しすぎて
目眩がするくらいです。
かっちゃんは言います。
そのうち、仕事の時の真剣な顔の写真も
真剣で優しい表情に写る日がくるよって。
そう信じて
今日も明日も
がんばるわたしです。