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自分の弱さを認めずして人は大きくならない。なるはずがない。そんな都合のいいように世の中はできていないのだよ、と、軟弱な世相に喝を入れる偉そうなわたし。

今日の新聞に

ここ数日世間を賑わせている

将棋の話題について少し書かれておりまして。

将棋の世界は勝ち負けの世界でありまして

その勝ち負けについて改めて考えてみたという内容でございました。

もうここ何年も前から(今でもそうなのでしょうか?)

学芸会では公平を期す為に

桃太郎、金太郎、浦島太郎の類が5人も6人もいる現象がありまして

とかく

人の上に人を作らず

人の下にも人を作らずでありますが

ほんとにそれでいいのかしら?と思います。

この記事の書かれている軸といたしましては

負けを認めることの大切さ

負けから学ぶことの重要さであります。

『負けました』と認めることは自分を卑下することではない。

テストの点数が悪かったからって答案用紙を隠して

なかったことにするのではない。

もっと言うならば

試合に負けた自分の弱さや

そんな点数しか取れなかったという自分の至らなさ加減や

そこに今一度着目して解決策を練ってこそ

次へのステップアップになるのであって

ピンチをチャンスに変えろよ、お前

ということなのですね。

サラリーマンの時とは違いまして

同じ商売をしておりましても

儲けているところと儲けていないところ

あるいは

人気のあるところないところ

ものすごい差が出てくるのですよ

悲しいほどに。

その中にはどう考えても首をかしげるものもあるのですが

でも中には

自分の好みではないにしても

これは認めざるを得ないというものもあります。

それは

明らかな結果が出ているものに対してであります。

どんなにかっこのいいポリシーや芯の通った常識を語ったところで

結果出てなかったら負け犬の遠吠えでありまして

そこはいくら吠えたってうるさいだけであるのでして。

わたしもかつての自分を思うと

よくもまああんなに吠えていたものだと

恥ずかしくもあったりするわけでありますねー。

でもそれはそれでして

一度も吠えた経験もなく

せっかく自分の城を持ったにも関わらず

周りにおもねりながら過ごしていたらいまのkediはなかったとも思いますので

ちっとも後悔はしておりませんが。

もとい

で、その吠えていたときも今も

少しも変わらず持ち続けているポリシーそれは

認めるべきことは潔く認めるという姿勢です。

確かに自分の好きなやり方ではないにしても

明らかな成果を相手に見たときは潔く負けを認め

ではどうしたらその相手を逆に

ギャフンと言わせることができるのか?

その事を冷静に分析し行動したとき人は更に

強くなり

賢くなるのではないだろうか?

ただ悔し紛れに認めずして恨み言ばかり公言してみたり

明らかに伸びもしていないのに自己を主張するばかりではね...。

少し目線を上に変えるだけで

すごい人はいっぱいいて

しかも身近に。

それを見逃したりひねくれて見ないふりをする

そんな人にはなりたくないですねー。

作成者:kedibaskan