わたくし個人的な見解ですが、高橋克典さんはキャパは広いほうだと思うのですよ。肝心かなめは引き締めるのですが、相手を油断させるような遊びの部分が多い、それが、高橋克典さんだと思うのですよ。あー会いたい。
そしてつづき。
なるほど、と
うなるわたしたち。
カバーをやりたくない本心は
カバーを再現するほどの技術がないの裏返し。
いささか辛辣ではありますが
あながち否定はできないと思います。
あと
オリジナルがあるにも関わらずカバーをやることを厭わない
そこには謙虚さも備えているとわたしは思います。
リクエスト曲が全部カバー曲だからって腐っていないで
自分たちがどんどんどんどん売れていって
リクエストされる曲がやがて自分たちのオリジナルも入ってくるくらいに
売れてやればいいのです。
それまではどんな曲だって対応できる技術を身に付け
なんにだって対応する人間力を備えておくのは
この先成功して多数の方々と仕事をしていくのに
重要な精神力が備わると思うのです。
これはわたしたちにも言えることなのです。
こんな場所ではコーヒーは淹れたくない
とか
アメリカン?そんなのうちの味じゃない
とか
落語するならこの金額からでお願いいたします
とか
プロだからこそ出し惜しんではいけないものがあると思うのです。
(落語はプロではありませんが)
もちろん自分の価値というのは自分でつけるものなので
低評価してしまったらそこから抜け出せなくなることもあるでしょう。
でも
意外とそれとこれとは話が別で
誰から見ても程度が低いものに勝手に自分で高評価を付けて天狗になるのと
誰から見ても程度が高いものなのに自ら謙虚になるのとでは
雲泥の差があるということだと思います。
わたしたちも以前は
自分の価値は自分で付けるべきという考えもありまして
今もその考えは多少形が変わったとはいえ概ね変わりはありませんが
ある日、目の前で
前者の考えをまざまざと見せつけられたときに出くわしまして
その時のその人の格好の悪さったら。
まだクオリティの低いアマチュアのくせに。
結局そのお方、巡り巡って
金輪際、絶対登らせてはもらえない禁断のステージが出来てしまいました。
その日を境にといっても過言ではないくらいに
それまでの考えとプラスして
どの場面にでも対応できるような
オールマイティなプロを目指しておりまして。
そうしますと自ずと仕事の間口は広がるものでして
そうしますと自ずと
心の間口も広がるものでして。
大は小を兼ねる
常にキャパは広くしたほうがいいという
長くて面白みに欠けるブログでした。